欧州スタジアムに学ぶ、観戦体験を進化させる施設運営とは

欧州スタジアムの観戦体験は、通信基盤、キャッシュレス、人流の可視化、回遊設計、暑さ対策といった施設運営の工夫が積み重なって成り立っています。日本の運営現場でも同じ順序で整えれば、混雑緩和と客単価向上を同時に狙えます。


• 試合前後を含む滞在時間全体を、通信・決済・動線の三点で設計します。

• ロンドン、マドリード、アムステルダムの欧州スタジアムは、可動式ピッチ・完全キャッシュレス・蓄電システムで多目的化と収益化を進めています。

• 売店の待ち時間はキャッシュレス化と事前注文で圧縮し、ID-POSデータで価格設計を見直します。

• 日陰・屋根・ミストと回遊動線で夏場の快適性を確保します。

• 実証実験からKPIを回し、個人情報保護と組織横断の体制で継続します。



欧州スタジアム観戦体験の全体像

観戦体験の評価は試合そのものだけでなく、来場前後の時間の設計で決まります。
日本のスタジアムは、特に試合後の体験に伸びしろがあります。
 


観戦体験を構成する要素とカスタマージャーニー

観戦体験は試合そのものだけでなく、来場前後を含む一連の流れとして設計されます。

 

デロイト トーマツが日本・ドイツ・アメリカのサッカー観戦経験者に行った比較調査では、日本とドイツは試合そのものが評価に大きく影響する一方、アメリカでは試合前の情報収集や入場からゲーム開始までの過ごし方が評価を大きく左右する構造が示されました(※1)。ファン側の期待も広がっており、プロスポーツのライブ観戦時に自宅と同じ統計・分析・リプレイに触れたいと答えたスポーツファンは58%に達し、Z世代とミレニアル世代では70%近くに上りました(※2)。

 

施設運営者は、入場から着席、ハーフタイム、退場までの各接点を分解し、どこで満足度が下がるかを見極める必要があります。カスタマージャーニーの視点で来場前後を含めて設計することで、観戦体験の伸びしろが明確になり、投資の優先順位も判断しやすくなります。
 


日本との比較で見える伸びしろ

日本のスタジアムは試合そのものの評価が高い一方で、前後の体験に余白が残っています。

 

同調査の分析では、日本はドイツと同様に試合観戦の影響が高い一方、それ以外の体験が与える影響は小さく、特に観戦後はほとんど影響力が見られませんでした。観戦以外の体験が評価に結びついておらず、観戦体験としての成熟度に課題が残ると指摘されています(※1)。Jリーグの来場観戦者と配信視聴者を比べた調査でも、試合観戦そのものへの満足度は来場者が高い一方、試合後の観戦体験の満足度が低くなる傾向がありました。試合後の余韻や次節への意欲を高める施策に検討の余地があると整理されています(※3)。

 

日本の施設運営者にとって、伸びしろは試合後の時間帯にあります。退場動線、飲食、コンテンツ配信の三点を試合後に寄せて設計し、来場者に翌節への期待を残す演出を組み込むと、来場全体の評価を底上げできます。
 



欧州の実例に見る観戦体験と施設運営

欧州の主要スタジアムは、可動式ピッチによる多目的化、完全キャッシュレス、エネルギーマネジメントといった施設側の投資で、観戦体験と収益基盤を同時に押し上げています。
 


トッテナムの多目的化と完全キャッシュレス運用

ロンドンのトッテナム・ホットスパー・スタジアムは、開業時から現金を扱わない運用で知られます。

 

2019年4月に開業した同スタジアムは収容62,850人で、ロンドンのクラブ専用スタジアムとしては最大です。可動式の天然芝ピッチはサッカーに加えNFL、ボクシング、コンサートに対応し、場内には60を超える飲食売店と欧州最長のバーが並びます。年間来場者は約200万人、地域経済への効果は3億4,400万ポンドとされています(※4)。天然芝ピッチは3分割で格納され、各セクションの重量は3,000トン超、68基の電動モーターで約25分で切り替わります(※5)。決済面では、スタジアムと周辺キャンパス内の全ての購買で現金が使えず、カードとモバイル決済に一本化されています。クラブは利点として、提供スピードの向上と現金取り扱いをなくすことによる衛生面の改善を挙げています(※6)。

 

ここで注目すべきは、可動式ピッチによる多目的化と決済の標準化が、同じ施設戦略の両輪になっている点です。サッカー以外の興行で稼働日を増やしつつ、場内の購買体験を一つの決済方式にそろえることで、混雑時の処理速度とデータの取得を両立させています。
 


ベルナベウ改修に見る非マッチデー収益の設計

マドリードのサンティアゴ・ベルナベウは、大規模改修で試合のない日の使い方を根本から変えました。

 

改修は2019年5月から2023年12月までの約4年半にわたり、投資額は最終で9億ユーロ、収容人数は80,000人です。開閉式屋根に加え、格納式ピッチはトレイ単位で地下の保管庫に収められ、ピッチを格納するとフィールド面に約10,000平方メートルの空間が生まれ、コンサートなどのイベントに使えます。場内には360度型の映像スクリーンが設置され、外周の鋼帯には映像を投影できます(※7)。

 

格納式ピッチは、天然芝の保護と多目的利用の両立という、屋外スタジアムが長年抱えてきた矛盾への一つの回答です。日本の施設運営でも、芝の養生スケジュールが非マッチデー活用の制約になる場面は多く、ピッチと興行スペースを物理的に分離する発想は、規模を問わず参考になります。
 


ヨハン・クライフ・アレナのエネルギーマネジメント

アムステルダムのヨハン・クライフ・アレナは、電力の安定供給を観戦体験の土台として整備しました。

 

同アレナは2018年に3メガワットの蓄電システムを稼働させました。日産リーフ148台分に相当する新品・中古の電気自動車用バッテリーを組み合わせた、商業施設としては欧州最大級の蓄電システムで、屋根に設置した4,200枚のソーラーパネルの電力を貯蔵します。用途は電力網の安定化、コンサート時のピーク電力の平準化、非常用電源で、従来使っていたディーゼル発電機が不要になりました(※8)。

 

大型ビジョン、通信、キャッシュレス決済といった観戦体験の打ち手は、いずれも電力の安定供給を前提にしています。停電時にも運営を止めない冗長性と、興行時のピーク需要への備えを蓄電で確保する考え方は、災害時の避難拠点も兼ねる日本のスタジアム・アリーナにも通じます。
 



施設運営DXを支える基盤技術

通信インフラ、人流の可視化、入退場管理の3つが、観戦体験を支える基盤技術です。
 


Wi-Fi・5Gの通信インフラ整備

スマートスタジアムの土台は、来場者全員が同時に使える通信環境です。

 

スマートスタジアムの中核はデジタル接続にあり、鍵となる要素として、場内全域を覆うWi-Fi、大容量の光ファイバー網、4G/5Gモバイル網の統合、エッジコンピューティング基盤が挙げられます(※9)。一方で、多くのスタジアムが主要リーグ向けに5Gサービスを整えているにもかかわらず、およそ40%のスポーツファンが接続の悪さを理由に、ライブ中に自分の望むかたちで携帯電話を使うのが難しいと回答しました(※2)。

 

運営側は、電波の敷設だけでなく満員時の実効速度を検証する必要があります。試合中の混雑ピークで動画配信や決済が滞らないかを、区画ごとに測定して優先投資先を決めます。加えて、コンコースやトイレ待機列など人が密集する箇所を先に手当てすると、体感的な満足度の改善につながります。
 


IoT・AIカメラによる人流可視化

映像とセンサーを組み合わせると、混雑を目で見て動かせるようになります。

 

AIカメラを用いた人流分析システムは、数十本規模の映像ストリームを同時に解析でき、大規模施設のリアルタイム要件を満たす設計となっています。リアルタイム解析により、群衆密度、待機列の長さ、動線パターンが可視化され、運営者は列を先回りで管理し、人員配置を動的に調整し、空間の使い方を見直せます(※10)。IoTデータの活用により、来場者の快適性向上、設備稼働の見直し、運営コストの削減、保全需要の予測といった効果が期待できます(※9)。

 

運営現場では、まずどの通路と売店で列が伸びるかを数字で押さえることが出発点になります。可視化されたデータを人員配置と誘導サインの見直しにつなげると、混雑緩和と快適性の両立が近づきます。時間帯別のヒートマップを蓄積し、次回開催の配置計画に反映させる運用も有効です。
 


デジタルチケットと入退場管理

入退場のスピードは、観戦体験の第一印象を決める重要な接点です。

 

顔認証を用いた入場では、紙のチケットやデジタルバーコードを扱う手間がなくなり、来場者はスキャナーに歩み寄るだけで本人確認が完了します。こうした技術は待ち時間を短縮し、入場体験全体を改善し、ファンを試合の熱狂により早く合流させます(※11)。

 

運営側は、キックオフ直前に集中する入場を分散させる仕組みとして、デジタルチケットと生体認証を組み合わせる余地があります。ゲートごとの通過人数を把握し、混雑が偏るゲートに誘導する運用を重ねると、開門から着席までの体験が滑らかになります。事前チェックインや来場時間帯別の特典を組み合わせれば、来場ピークそのものを平準化することも視野に入ります。
 



キャッシュレス化と飲食購買のKPI設計

キャッシュレス化は待ち時間の短縮と客単価の向上を同時に狙える打ち手で、得られる決済データが次の改善につながります。


待ち時間短縮と客単価向上の両立

売店の待ち時間短縮と客単価向上は、キャッシュレス化で同時に狙えます。

 

スマートスタジアムでは現金を扱わない運用が広がっており、モバイルウォレット、非接触カード、QRコード決済、アプリ内購入が代表的です。効果として、決済の高速化、現金取扱リスクの低減、財務の可視化、収益効率の向上が示され、来場者の利便性向上と待機列の短縮にも寄与します(※9)。米国ラスベガスのアレジアント・スタジアムは、スーパーボウルLVIII(2024年)の会場として、開閉式フィールド、キャッシュレス決済とモバイルオーダー、大規模な5G接続を備えました(※11)。

 

運営現場では、ハーフタイムの15分に売上が集中する構造そのものを変える発想が有効です。モバイルオーダーで注文と受け取りを切り分ければ、列の長さと客単価の関係が緩み、両立の余地が広がります。座席まで届ける仕組みや、時間帯別の受取窓口を用意すると、購買機会をさらに引き上げられます。
 


ID-POSデータ活用と価格設計

決済データがそろうと、価格設計と商品開発の打ち手が具体的になります。

 

国内プロ野球のあるクラブは、2026年シーズンよりスタジアム内で完全キャッシュレス化に踏み切りました。売店での待機列緩和という直接的な体験向上に加え、ID-POSデータの取得により、誰が・いつ・どこで・何を買ったかを分析でき、商品開発に活かせるようになりました。現金決済ではお釣りの手間を省くため50円、100円単位での値上げを余儀なくされていましたが、キャッシュレス化によって、より細かな価格改定が可能になったといいます(※12)。

 

運営側は、価格の刻みを細かくできる環境を活かし、時間帯や座席区画別の価格設計を試す余地があります。ID-POSで売れ筋と死に筋を分け、次節までに品揃えを差し替える運用サイクルが現実的な打ち手になります。特典付きのセット販売や、リピーター向けの割引も、データを根拠に設計できるようになります。
 



回遊設計と暑さ対策による快適性向上

夏場の快適性は、日陰・屋根・ミストによる気候緩和と、滞留と流れを分けた動線設計の組み合わせで高められます。
 


日陰・屋根・ミストによる気候緩和

夏場の観戦は、日陰と屋根、ミストの組み合わせで快適性が大きく変わります。

 

2025年の大阪・関西万博で来場者の動線を支えた大屋根(リング)は、主要パビリオンを帯状に結ぶ円環ルートとして設計され、迷いにくく合流や離脱もしやすい構造となっていました。大屋根が生む日陰の帯は、強い日差しや雨をやわらげ、立ち止まりやすい滞留ポケットを点在させる役割を果たしました(※13)。神戸市は、夏期の高温常態化対策として、東遊園地や磯上公園などでのミストとクールベンチの稼働、布引のトンネル湧水を活用した道路散水を挙げ、公共空間での日よけ設置による日陰創出の研究や実証を、民間企業との協働で進めるとしています(※14)。

 

スタジアム運営でも、コンコースの日陰の帯と滞留ポケットを地図に落とすことが第一歩になります。ミストやクールベンチを列の起点に置くと、待ち時間の体感が改善し、熱中症リスクの低減にもつながります。導線と気候緩和の設備配置を重ねて描くことで、混雑と暑さの二つの課題を同時に扱えるようになります。
 


回遊動線と滞留ポケットの設計

回遊しやすい動線と、腰を落ち着けられる滞留ポケットの両立が快適性を支えます。

 

町田市は、施設全体の利用や回遊性を考慮した動線、日陰やベンチなど多世代の利用者が快適に滞在できる工夫、防犯・防災・暑さ対策、ケガや急病への対応を含む利用者の安全確保を、施設づくりの要件として挙げました(※15)。

 

運営側は、動線を一方通行の帯として捉えるのではなく、立ち止まる場所と流れる場所を分ける発想が有効です。売店前に滞留ポケットを、通路の中央には流れる帯を配置すると、混雑の偏りが緩みます。ベンチや日陰を要所に置くことで、多世代の来場者が自分の速度で回遊でき、退場時の集中も分散しやすくなります。
 



導入プロセスと運営体制の構築

導入は小さな実証から始め、KPIの絞り込み、個人情報保護の設計、組織横断の体制づくりへと段階的に進めます。
 


実証実験からのステップ化

新しい仕組みは、小さな実証から段階的に広げるのが定石です。

 

前述の国内プロ野球のクラブは、観客の質を測る指標として、座席の稼働率、ファン比率、声援量の3つのKPIを設定し、データ収集と分析を行いました。1塁側と3塁側のスタンドに集音マイクを設置し、1イニングごとの声援量を数値化する方法を採り、データ分析は目的ではなく打ち手であるべきだと整理しました(※12)。

 

運営現場では、まず1試合単位で測る指標を絞り込み、意思決定に使える形に落とし込むことが出発点になります。実証で得た数値をもとに、次の試合で運用を調整する短いサイクルを回すと、投資判断の精度が上がります。指標が多すぎると現場が動けなくなるため、まずは3つ前後に絞り、成果が見えたものから常設運用へ移す進め方が現実的です。
 


個人情報・セキュリティへの配慮

映像やIoTの活用には、個人情報保護の設計が欠かせません。

 

AIカメラを用いた人流分析システムの要件は、GDPR(EU一般データ保護規則)やCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)といった業界標準の保護規制に準拠することを求めています。加えて、システムは個人を特定できる情報を保持せず、映像データの送信を抑えるためエッジ処理を可能な限り用いるとしました(※10)。

 

運営側は、収集する情報の範囲と保存期間を先に決めることが実務の起点になります。映像は端末側で処理し、統計値だけを中央に集める設計にすると、法令対応と分析の両立がしやすくなります。ファンへの説明資料や掲示で、何を集め、何を集めないかを明示すると、信頼を損なわずにDXを進められます。
 


KPI設定と組織横断の共創体制

施設運営DXは、クラブ単独ではなく通信事業者や地域との共創で進みます。

 

福岡のスポーツクラブと通信事業者の取り組みでは、アウェイから訪れる人が福岡で楽しめる情報を充実させるとともに、トークンを持つDAO(分散型自律組織)のメンバーへの還元方法にも工夫を凝らしました。担当者は、スポーツクラブと通信事業者のアセットやアイデアを掛け合わせることが、スポーツクラブや地域の課題解決への前進につながると振り返りました(※16)。

 

運営体制の構築では、目的KPIと役割分担を先に合意することが要になります。クラブ、通信事業者、自治体が同じ数値を見て動く体制を整えると、施策の重複や責任のあいまいさが減ります。定例の振り返りの場を設け、KPIの達成度と次の打ち手を短い周期で共有すると、共創の推進力が保ちやすくなります。
 



おわりに

欧州スタジアムに学ぶ観戦体験の進化は、通信、決済、人流、回遊、暑さ対策という異なる領域の打ち手を、来場前後まで含めた一連の流れとして束ねる姿勢に共通点があります。日本の施設運営でも、試合後の時間帯や滞留ポケットに光を当てるだけで、評価の底上げにつながる余地が残っています。

 

要点は、実証で数値を取り、KPIを共有し、個人情報保護と組織横断の体制を整えながら、小さな改善を積み重ねる姿勢です。混雑緩和と収益最大化の両立は、単発の投資ではなく、運営サイクルの中で磨かれていきます。  
 


参照

(※1) Deloitte – スポーツ観戦体験グローバル調査レポート-サッカー編-

(※2) Deloitte Insights – In-stadium experience | Deloitte Insights

(※3) Deloitte – デロイト トーマツ、Jリーグ観戦体験分析レポートを発行

(※4) Tottenham Hotspur – The Stadium

(※5) Buro Happold – Inside Tottenham Hotspur’s new stadium

(※6) Tottenham Hotspur – Ways To Pay

(※7) Ayesa – Transforming Madrid’s iconic football venue: Santiago Bernabéu Stadium

(※8) Johan Cruijff ArenA – The 3 megawatt energy storage system in Johan Cruijff ArenA is now live

(※9) Sporthill International – What Are the Key Components of a Smart Stadium?

(※10) https://lenovopress.lenovo.com/lp2199.pdf

(※11) How Tech is Leveling Up the Super Bowl 2025 Experience

(※12) TECH+(テックプラス) – ビジネス部門も勝利にコミットする横浜DeNAベイスターズ – データが導く「勝ちと価値の共創」とは

(※13) ときめきの秘密基地 – 大阪万博の大屋根リングの目的を徹底解説――なぜリング形状なのか、どんな体験と価値を生むのか

(※14) https://www.city.kobe.lg.jp/documents/77626/r7kensetsu2.pdf

(※15) https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/park/shisetu/tadaosports/tougedani.files/gaiyoubann2.pdf

(※16) KDDI株式会社 – プロスポーツクラブ×KDDIが挑む、ファンづくりと地域活性化 ~アビスパ福岡とジュビロ磐田の歩みと未来図~|be CONNECTED.|法人のお客さま|KDDI株式会社



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